世界中で数千万人の方々に愛用されてきた【迷奇】は、どんなお肌の悩みも解決してきました。 はだ荒れ、しみ、しわ、そばかす、にきび、にきびあと・・・ 長年病院に通い、医者から見放された顔のしみ、アザがうそのように薄くなってきて、そして消えた! 今でもそんな喜びのお便りがアメリカやヨーロッパからも寄せられています。
もともと【迷奇】は中国の女性兵士のお肌を守るため、中国最高の医療機関【中国人民解放軍総医院(通称301医院)】が数十年の歳月をかけて研究開発したものなのです。
その開発チームを結成するのに、中国各地からエリート中のエリートが301医院に集められました。 それを指揮したのが王常謨主任医師でした。 王常謨先生は今もご健在で、軍隊を退役された後は【迷奇】を作っている北京迷奇日化有限公司(北京太湖化粧品有限公司)で生産の指揮を取っておられます。
当時、ソ連国境近く、アムール川畔では大勢の女性兵士が男性兵士に混じって国境を守備していました。 摂氏零下40度の極寒の地です。女性兵士の顔にもシモヤケができ、それがひび割れて悲惨な状態でした。
また、新彊ウイグル自治区のタリム盆地、タクラマカン砂漠には新型爆弾の爆破演習、実験基地がありました。 ここにも多くの女性兵士が演習と実験に明け暮れていました。 直接被爆したわけではないのに、連日の演習で女性兵士の顔にはケロイド状のやけど跡ができていました。 男性兵士と全く同じような訓練、野山や海での演習、そして前線での実践、中国の女性兵士たちのお肌を守ることは中国の国家的課題ともなっていたのです。
いつしか、女性兵士の宿舎、キャンプにはバケツにはいったクリームが置かれるようになりました。 訓練や演習の前、そして作戦行動を開始する前、女性兵士たちは顔といわず手足といわず、これを全身にたっぷり塗り付けて出かけたものです。 それが初期の【迷奇】でした。
でも、今のような完成品ができあがるまでには、それは長い試行錯誤と紆余曲折がありました。 この間、数百万におよぶ女性兵士がこれを使い、【迷奇】は改良に改良を重ねていくことになりました。 戦場での使用を前提としていますので、これひとつで女性のお肌をあらゆるトラブルから完璧に守ることができなくては意味がありません。 辺境の砂漠で、極寒の地で、荒れ狂った海で、熱帯のジャングルで・・・
こうして王常謨主任医師をはじめとする若き優秀な医師グループが心血を注いで完成させたのが迷奇ミラクルクリームなのです。 迷奇は第二世代の【迷奇無香料クリーム】、さらに大きくグレードアップした第三世代の【皇彩迷奇】と生長し、世界各国のあらゆる世代に親しまれています。 今もたゆまぬ研究を続けられる王常謨先生、迷奇はこれからも発展を続けます。
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